なんで巷の本屋さんに「学校では教えてくれない大切なこと」があふれているのか、考えてみた。

 

あなたは、「学校で教えてくれない大切なこと」ってなんだと思いますか?

 

 

  • 友達付き合い
  • 恋愛
  • 自分の悩みとの向き合い方
  • 仕事・働き方
  • お金」や「社会のしくみ
  • 生きる」とは

 

 

こういうことって、学校の授業で先生から「教わる」っていうより、自分が色んな経験をしていくうちに「学んでいく」って感じが強いじゃないですか。

 

 

 

自分の人生振り返っても、学校で「教わる」っていうより、「学校」っていう小さな社会の中でもまれながら、自分なりに悩んだり考えたり、家族や周囲の人と関わったりする中で学んでいった感覚があります。

 

 

 

ですが、最近本屋さんに行くと、児童書のあたりに「学校では教えてくれない大切なことシリーズというコーナーができてて、しかもめちゃくちゃ種類が豊富で、びっくりしました。

 

 

 

「子どもの自己啓発書」がいる時代

 

 

 

 

 

ざっと書店で見ただけでも、20種類以上の本があり、

 

  • 整理整頓
  • 友だち関係
  • ステキになりたい
  • カッコよくなりたい
  • 時間の使い方
  • 身近な危険
  • 勉強が好きになる
  • 自信の育て方
  • 考える力の育て方
  • 夢のかなえ方
  • からだと心
  • お金のこと
  • 物の流れ
  • ルールとマナー
  • ネットのルール
  • 数字に強くなる

 

というように、各テーマごとにまとまった知識が書いてあるのが「学校では教えてくれない大切なこと」シリーズ。

 

 

  • こころのふしぎ
  • 科学のふしぎ
  • 社会のふしぎ
  • 言葉の不思議

 

 

などを発達段階に合わせて(低・中・高学年向け)書かれている「なぜ?どうして?」シリーズ。

 

 

他にも、まだまだシリーズ化されている本がたくさんあります。

 

 

これらのシリーズ、私が働いている時のクラスの子どもたちにも人気の本で、みんな順番待ちしながら読んでいました。

私もこれらを読むのが好きで、イラストもカラーで分かりやすく、大人の私が読んでも「へ~、なるほどね!」って思うことがたくさん書いてあります。そこらへんのビジネス書よりも面白いぐらいです。

 

 

 

 

でも、なぜか私は「違和感」を感じるんです。

 

さーちゃん
人間関係」や「心のこと」、「自分の夢」や「自信」とかについて学ぶための本って、大人の自己啓発本と一緒じゃん。

こういうことって、子どもの段階から「本」で学ぶものなのか。

こんなに種類があるってことは、それだけ「学べる機会」が少ないから、「」で知識を得ようって感じなのかな…

なんか、違う気がする

 

 

 

人はどこで「学校では教えてくれない大切なこと」を学ぶのか

 

 

私は、「学校では教えてくれない大切なこと」を学ぶためには、「実体験」が不可欠だし、「他者との関わり」がないと学べないと思っています。

 

 

 

学びのスタートは「チャレンジ」です。

 

  • もっと友達がほしい。
  • 好きな子と仲良くなりたい。
  • サッカーが上手くなりたい
  • 自分の「もやもや」した悩みをどうにかしたい

 

 

などなど何か自分が「現状を変えたい」・「新しい自分になりたい」という想いをもつことがスタートラインです。

そこから、今まで自分がしたことがないことに「チャレンジ」していきます。

 

 

 

例えば、「もっと友達がほしい」と思った子は

  • 隣のクラスの子に話しかけてみる。
  • いつもとは別のグループに入って遊んでみる。
  • 友達の多い子と仲良くなる。
  • 親に頼んで新しい習い事を始めてみる。

 

などなど、「友達を増やす」ための方法を試行錯誤します。

 

 

そもそも「どうやったらいいのか分からない」場合は

  • 親や兄弟に聞いてみる。
  • 先生に聞いてみる。
  • 本やネットで調べてみる。

 

という「情報集め」から試行錯誤すると思います。

 

 

 

 

そこから、実際に「これならできそう」と自分が思ったことに「チャレンジ」してみます。

 

  • 隣のクラスの子に話かけたら、すぐ仲良しになれた!
  • いつもとは別のグループで遊んだら、めちゃくちゃ面白い友達ができた!

 

こんな風にチャレンジが成功する場合もあると思いますし、

 

  • 友達の多い子と仲良くなったけど、あんまり楽しくない。
  • 習い事始めたけど、気の合う子がいない。つまんない。

 

って感じで上手くいかない場合もあると思います。

 

 

 

 

 

そこで重要なのが、「人から認めてもらう」という次の段階です。

 

その子のチャレンジが、上手くいこうが、上手くいかなかろうが

 

「よく頑張ったね!」

「すごいじゃん!」

「失敗も大事な経験だよ!」

「ドンマイ!次に生かせるよ!」

 

と、自分がチャレンジしたという「経験そのもの人に認めてもらというのが大事です。

 

家族でも友達でも、地域の人でも、ほんと誰でもいいので

あなたはよく頑張ったんだよ」と認めてくれる相手が必要です。

 

 

 

そんな風に他者からまるごと自分を受け止めてもらうことで、

 

自分って頑張ったんだ

自分ってすごいじゃん

自分っていいじゃん!」

 

という「自己肯定感」や「自信」につながり、また「新しいチャレンジをしようという想いが出てきます。

 

 

チャレンジ→人に認めてもらう→自己肯定感→チャレンジ…

 

 

人は、このループがある場所でないと「学びのある経験」や「生きる知恵」を上手く身に着けられません。

 

 

 

私は今の時代、このループの中の「人に認めてもらう」という段階が、子どもたちの中でめちゃくちゃ減ってるんじゃないと思ってます。

 

 

  • 成功しないと意味がない
  • 結果が大事
  • 失敗は許されない

 

 

そんな社会や大人の窮屈で余裕のない空気はひしひしと子どもたちにも伝わり、

 

 

  • こんなことして失敗したら、どうしよう。
  • また「しょうもないことして!」って言われるんじゃないかな。
  • どうせ、やっても意味ないよ。

 

 

 

そんな風に「人に認めてもらえない」って気持ちが強いから、チャレンジすること自体も恐れるようになってるんじゃないかあ、と思います。

 

まずは「チャレンジ」しないと、どうやったって「実体験」は積めないのに、チャレンジ」するが怖いから、どんどん頭でっかちになって「本」の知識ばかりを頼ってしまうようになってるんじゃないかな、とも思います。

 

 

 

 

私と祖母の関係の中にあった「ゆとり」

 

 

 

私は祖母と一緒に暮らしています。

 

家庭環境的に、なかなか私の面倒を見れなかった両親の代わりに、祖母が私と一緒に過ごしてくれることが多く、私は根っからのばあちゃんっ子でした。

 

 

ばあちゃんはいつも私に

 

ばあちゃん

いい、さーちゃん。

子どもの仕事はね「遊ぶ」ことだよ。

とにかく、めいっぱい遊びなさい

 

 

その方針を私は忠実に守り、学校から帰ったら、

山に秘密基地をつくったり、川にある小島を渡って島探検したり、近所の公園を占領して泥遊び大会をしたり、はてには近所のマンションで鬼ごっこをして出禁になったり、

 

とにかく友達とめいっぱい遊びまくりました。

 

 

いつも泥だらけで家に帰る私を見ると、

ばあちゃん
今日もしっかり遊んだんだね。いいこといいこと。どんなことしたの

 

と、汚い恰好を怒るわけでもなく、優しく話を聞いてくれました。

 

また、私がどんなに危ない遊びをしても、

ばあちゃん
それも、いい経験。ケガだけは気をつけるんよ。

 

 

と認めてくれていました。

 

 

夜寝るのも、ばあちゃんと一緒に寝ていたので、

寝る前に、

  • ばあちゃんの子どものころの話
  • 戦争中に日本の話
  • 人と人とのつながりの大切さ

 

など、たくさんの話を聞かせてくれました。

 

私がその時、疑問に思ってたことも、

ばあちゃん
ばあちゃんの経験でしか語れないけどねばあちゃんは、こう思うよ。

 

自分の考えや経験を聞かせくれたので、私はばあちゃんと話すのが大好きでした。

 

 

 

ある日、いつものように遊んでいる時に、友達の一人がケガをしてしまいました。

 

みんなで「どうしよう!!」と焦っている時に、

友達
Aちゃん家のお母さん、看護師さんだから、見てもらうのはどう!?

 

という友達の意見にみんな賛成し、すぐAちゃん家に行きました。

 

 

Aちゃん家に行くと、運よくAちゃんもお母さんもいて、無事ケガの処置をしてもらえました。

 

 

 

 

家に帰って、その話をばあちゃんしたら、

 

ばあちゃん
それなんよ!

そういう判断ができることが、生きていくうえで1番大事なんよ

それができたさーちゃんも友達もすごい。もう立派よ。

もう、何もばあちゃん心配いらんわ。ははは~。

 

そんな風に、褒めてくれました。

 

 

大人になって振り返ると、まず「友達をケガさせたこと」を怒るところなのに、そこよりも「ケガした後の判断」を認めてくれたばあちゃんって、本当にすごいなって思います。

 

今でもこの経験って、私の記憶に染み付いてるし、「自分たちで考えて動く」大切さを学んだ瞬間だったのだと思います。

 

 

私とばあちゃんの間には、確実に「心と心のつながり」があって、「まるごと認める」っていう「ゆとり」もたくさんあったから、私はいろんなことにチャレンジできました。

 

 

本当に、ばあちゃんには感謝しています。

 

 

 

まとめ

 

 

本屋さんの「学校では教えてくれない大切なこと」シリーズのコーナーの広さから、自分が感じたことを書いてみました。

 

 

たしかに、学校は「学習指導」が中心ですし、基礎学力をつけていくための場所です。

 

でも、今「学校」にも「家庭」にも「地域」にも、大人が子どもの悩みや疑問に答えてあげられる「心のゆとり」がありません。

 

大人もみんな必死で、自分の生活や大事な人を守ることで精いっぱいなのだと思います。

 

そんな環境では、チャレンジ→人に認めてもらう→自己肯定感→チャレンジ…

 

という学びのループに子どもたちは入れないから、「」から知識を得るようになっているんじゃないかなと思います。

 

 

」はもちろんないより、あった方がいいのですが、そこから得た知識を、「実際の経験」につなげられる「人間関係」こそ、必要なんじゃないかなあと思うわけです。

 

 

 

  • 子どもたちが安心してチャレンジできる環境
  • その「チャレンジ」を周りの大人が認められるような、ゆとりのあるライフスタイル

 

 

そういうものも、私が望む「みんな違って、みんないい」の世界に含まれるんだなって思いました。

 

 

 


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