私は現在、休職中です。
仕事は小学校の先生です。
物心ついたときから「自分は小学校の先生になるんだ」と思って、実際なりました。
ですが、先生になってから休職するまでの自分は、本当に大っ嫌いでした。
- なんでこんなに忙しいんだ。
- なんで自分はクラスを上手くまとめらないんだ。
- 苦しい・しんどい・助けてほしい。
そんな気持ちから
- 子どもが言うことを聞きさえすればいいのに。
- こんなに忙しい学校の組織の在り方がだめなんだ。
と自分の周りを責めてみたり、
- 自分は先生なんか向いてないんだ。
- 自分なんか全然だめだ。
- 自分じゃない先生なら、このクラスは上手くいくだろうに。
できない自分自身を責めたり、
果てには、
目次
本当は自分は先生なんかになりたくなかったんだ。
なんで自分は先生なんかになったんだ。
もっとよく考えればよかったのに。
と過去の自分までも責めるようになりました。
こんな風に周囲や自分のことを責める自分が嫌いで、もっと優しくなりたいのになれなくて、そんな余裕もなくて、「こんなの自分じゃない!」と思うのに、上手く表現できなくて、周りに合わせてばっかりで、とにかく「自分が嫌い」でした。
ですが、休職してみて、真剣に自分と向き合い、自分の想いや考えを紙に書きだしてみることで、

ってことが分かりました。
自分の本音が分かったら、「そのためにできることはないか」と前向きに考えられるようになり、今ばしばし行動ができるようになってきています。
そんな私が、

さーちゃん これだよ!!!最近私がずっと考えてて、言いたかったことは!!!

と本気でびっくりした記事があります。
オクユイカさんが書いた
これを読んで私は、

自分がタイムリーに考えていたこととジャストミートして、場外ホームランって感じでした。
オクさんが語る「自分を偽ること」
ここから、私がオクさんの記事で「それ!!」となった場所を引用していきます。(全部引用したいぐらいなんですが(笑))
顧問に迎合するというか、顧問が怖くて従っていた結果・・・どうなったと思いますか?
環境のせいにしたり人のせいにするようになってた。
今振り返ると全部自分のせいだなって思う。
きっと卑屈な目で社会も、周りの大人のことも見ていたから、毎日つまらなかったし、そういう思考になるのも家庭環境のせいだとか学校のせいだとか人のせいにしてた。
人のせいにするのは、自分の人生に主体性がない証拠だなって、大人になって気が付きました。
https://sabaoku.com/2017/11/21/sonomama-no-jibun/
今振り返ると、私のことなんて周りは特に気にしてなかったと思うの。
「こう思われるんじゃないか?」という勝手な妄想のせいで、自分で自分の首をしめてた。なんかさ、すっごくもったいないよね。笑
楽しく過ごせたはずの時間を、他の人の目が気になってつまらない時間にしちゃってた。
今、自分を偽らずに生きるということを決めてから、絶対こっちの方がいい!!と思うようになったのでそのことについて書かせてください。
https://sabaoku.com/2017/11/21/sonomama-no-jibun/
レズビアンであることは数年前まで秘密事項でありバレないように周囲との壁をはっていたけれど、今は周りの方とも壁を作らずに話す事ができててそれがすごく幸せなんです。
長い間周りの人を全然信用せず疑って生きていたんでしょうね。
そのままの自分を見せることで去る人もいると思う。
でも、偽った自分でいることで去る人もいるはず。みんな違う育ち方、環境、生き方をしているんだから、全員に好かれるってまず無いので、そのままの自分を見せて、それでも離れないでいてくれる方々を想うことに自分の時間を使ったほうがいいな、って私は思います
https://sabaoku.com/2017/11/21/sonomama-no-jibun/
「自分のことがわからない」という方って時々いるとおもうのですが
日々忙しくしていて自分の心の内側をじっくり見て考える事がない
周りに合わせすぎて自分の意見等がなくなってしまった
心の内面や自分の気持ちを言語化することができていない
そんな理由によるものではないでしょうか。これが好き!これが嫌い!これはしたくない!楽しい!嬉しい!等々・・・そんな自分の感情に気づくことで、自分の事がわかりはじめます。
特に家庭環境があまりよくなくて親の顔色を伺いながら生きてきた方。
親に気に入られるための「自分」をつくりあげていませんか?
「言語化」ってすごく大切。
もしも悲しみを感じたときに、表現する言葉が「悲しい」しかなければ、たとえ細かい心情があったとしても誰かに伝える事ができません。自分自身でもそれ以上の認識ができない。
この悲しさはどこからくるんだろう?とモヤモヤしちゃったりね。言語を知っていれば「足の小指をテーブルの角にぶつけて痛いのに、そばで心配してくれる人もおらず悲しい」
までわかるし、相手にも伝わります。(例えばわかりにくいとか言わないで)よくわからない感情でモヤモヤする人にかけているのは言語化する能力だとおもいます。
https://sabaoku.com/2017/11/21/sonomama-no-jibun/
言わないと誰もわかってくれないです。 言わないくせに周りの人に対して「どうせほかの人は私のことなんて・・・」ってひねくれていたのは紛れもなく過去の私。
古代ギリシャの時代から「生きることとは何か」を考える人がいたという事は、人間ってどんな時代にも「生きる」ということに考えるものなんでしょうね。
人が生きる上で「どう生きるか?」と考えるタイミングがあるのは当然で、それを自分なりに考えて消化して行動することが、自分の人生を生きる ということなのかもしれません。
なんというか、赤ちゃんが言葉を覚えたり歩き始めたりするように、「生き方について悩む」というのは人間が成長して行く過程のひとつなんだと思う。

オクさんの書く言葉が、想いが、共感できすぎて、泣ける。
私が思っていた「自分に嘘をつく」ということ
私は、ずっと
- 自分を偽って生きているような気がする。
- 「本当の自分」がよく分からない。
- 「本当の自分」を見せたら人に嫌われる。
と思って生きてきました。
自分はセクシュアルマイノリティでレズビアンだし、兄は発達障害で未だに二次障害の精神病を患ってるし、「普通の家庭」っていう感覚も分かんなきゃ、「恋愛」も普通の人と違う。
子どものころから、親の顔色や周りの人の表情ばかり気にして、
- 自分は周りと同じようにできているのか。
- 自分は変な風にみられていないか。
とにかく「自分の外」にアンテナがたくさん向いていました。
周りの人から好かれるように、見捨てられないように、振舞うことばかりしていました。だから、周りに友達はいっぱいいたし、寂しい思いはしませんでした。
でも、だんだん大人に近づくにつれて、周りに合わせることと同時に「自分の意見・思いを伝える」という「意思表示」が必要なことが分かってきて、自分はそれがすごく苦手なことが分かりました。
なぜかというと、「自分の外」にばかりアンテナを向けて、肝心な「自分の内を知る」ことをあまりしてこなかったこと、周りを気にしすぎて自己表現・意思表示する経験が少なったこと、が原因です。(少しは生まれつきな部分も関係あるかもしれませんが)
就職すると、「自己表現」「意思表示」する場面はそこらじゅうに転がっており、そこを鍛えていなかった私は、今まで通り「周りに合わせて」いました。自分にも教育に対する想いはあったのですが、それを上手く表現できず、抑え込んでいました。
今までは、そうしててもなんとかなっていたんですが、社会人になって責任や立場も大きくなり、「自分ひとり」ではどうにも処理できないぐらい「嘘」や「感情」がたまっていることが分かってきました。
それでも、私は強情に、周りの人を信用せず、自分一人でなんとかしようとしたり、周りの環境に責任転嫁したり、自分を責めて思考停止しようとしたりして、真摯に仕事や子どもと向き合うことからどんどん離れていきました。
そんな状態でまともに仕事ができるわけもなく、
ある日、自分の感情が爆発して、
- こんな息苦しい働き方したくない!
- もっと自分と向き合う時間がほしい!
- もっと母さんと父さんのそばにいたい!
- もう自分に嘘つきたくない!!!
休職しました。
休職してからは、「自分についていた嘘」をどんどん取っ払っていき、「自分の本音」・「自分の考え」・「自分のやりたいこと」を周りの人に伝えていきました。
そして、今の私ができました。
詳しくは「休職日記シリーズ」に書いてあるので、興味がある方は読んでみて下さい。
まとめ
今回、オクさんの記事から「びびびび!!!」って感情が動かされて、自分が思っていたことを書いていったのですが、
オクさんも私も共通しているのは、
「自分を偽る・自分に嘘つく」ということが、いかに、苦しくて、辛くて、自分の人生を楽しめなくなるものであるか、ということを身をもって感じたからこそ、「自分に正直になること」「自分と向き合って、自分の想いを表現すること」が自分の人生を楽しむために大事なことであるってことが1番伝えたいポイントなんだと勝手に思ってます。
本当に、一人でも多くの人が、「自分を偽ること」をやめて、「ありのままの自分」を表現して楽しく生きていけるように、私もお手伝いがしていきたいと思います。
オクさん、本当に素晴らしい記事をありがとうございました!!!