この記事は私の全くの思い付きです。
でも、今の教育現場が抱えている課題を解決する糸口になるんじゃないかと思って書いています。
私が思う教育現場の課題
- 教員の多忙化(仕事量と人数の問題)
- 多様な子ども・保護者への対応
- 「成果主義」「個人主義」への偏り
この3つは、教育現場から「ゆとり」をなくしています。
「ゆとり」のないところでは、人の心は育たないし、日本の教育は学習指導だけじゃなくて「人格の完成」まで目指しているんだから、なおさら教育現場に「ゆとり」を入れる必要があると思います。
第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
「国民」育てるなら、今の世に合う「国民」育てなきゃ。
じゃあ、どうやって「ゆとり」を仕組んだり「今の世に合う教育」を仕組むのか。
それが「子どもが担任を指名できる制度」です。
子どもが担任指名制
- 1年間、教えてもらいたい先生、学級担任を子ども・保護者が選べる。
- えらぶ基準は、授業・学校での様子・経験年数などとsns・ブログを使う。
- その子と保護者が相談して、その先生の「実績・実力」や「人となり」を見て決める。ただし、子どもと保護者の意見が違ったら、子どもの意見を尊重するようにする。
- 先生は自分の仕事面での実力もいるし、私生活での人間味も加味される。
- かっこつけや点稼ぎ的にsnsやブログを使えば、それも伝わるし、たとえそれがバレずに選んだ子が増えても、担任になった時点で作った皮はバレていく。そして、その先生の信用は落ちるから、次の年からその手が使えなくなる。
- 「先生」の表の顔も裏の顔も知ってもらうことで、必然的にその人が「信用」できるかどうかが選んでもらう基準になる。
- だから、本音を語れる人が選ばれる。信用度の高い人が選ばれる。
- だから、人によってクラスの人数は違うし、給料も変える。人数が多い先生は、アシスタントの先生を優先的に入れられるようにする。
- 逆に、経験の浅い先生のとこには、子どもが少なくなるから、若手の負担が少なくなる。
- 経験が浅くても、信頼できる人のとこには人が集まるし、経験が多くても信頼できない人のとこには、人が来なくなる。
- 経験値×人となり=教師力
- 基本給は今まで通り、年功序列で変わらない。ただし、ボーナスとか業績評価はこのクラスの人数=「信用度」を基準に判断される。
こんな制度どうでしょう??
小学校の低・中はいろんな先生のことを知って、高学年ぐらいから始めていんじゃない??
中高は1年生で学校をあらかた知って、2年生から導入していく。
これ、何がいいかっていったら、自分の実力によって、クラスの人数が変わることです。
自分に見合った人数しかこないんだから、若い時は必然的に少人数になるし、個に応じた支援もしやすくなる。
力のある先生のとこには、たくさん人数集まるんだから、アシスタントの先生も優先的に入ってもらって「見る目」を増やしていけばいい。
もう一つ、いいのは、先生たちが周りに合わせて遠慮するようなことがなくなることです。
先生は自分が選ばれる立場になることで、見栄や虚勢がはれなくなるとともに、「これやったら周りから浮くんじゃない?」って思っていた自分の想いややりたいことをやっていかないと、自分の魅力が子どもや保護者に伝わらなくて困るようになります。
つまり、自分の好きなこと・特技・やりたいことを教育現場にどんどん組み込んで「自分の魅力化」をしていかないと選んでもらえなくなります。
ただ授業をこなしていくだけじゃくて、自分の興味関心にそったことが教育現場でできるって、先生にしてみたら相当「心のゆとり」や「充実感」が味わえるし、子どもたちもそういうものに触れられる機会が与えられて「ゆとり」がでると思います。
ただ、これしようと思ったらめちゃくちゃ批判が殺到しそうなので、そこも考えてみます。
起こりうる批判
- 公務員・教師の公私混同!きちんと分けるべき!SNSやブログなんてもってのほか!
- クラスによって人数が違うのは、教育の機会均等じゃない、不平等。
- ただの「人気投票」になるんじゃないのか。
- 子どもたちの人間関係や能力を考慮しないのはどうなのか。
- 先生と保護者が癒着しそう。
今私が思いつく批判は5つ。
1こ1こ潰してみます。
- 公務員・教師の公私混同!きちんと分けるべき!SNSやブログなんてもってのほか!
公私混同で結構。
むしろ、公私を分けなきゃ先生できないような人は先生に向いてない。
裏の顔も知ってもらってその人の「人となり」だし、そこに、その人の信念とか生き様がでる。
子どもも保護者もそこが知りたいはず。
そのために、ブログやSNSを使って、学校じゃ見えない部分を知ってもらうのってめっちゃ大事なんじゃない?
先生の名刺代わりにブログやSNSが使われていくのって素敵だと思うんだけど。
先生の転勤問題という課題も、学校側が人事の状況を開示すれば、「 あと1年!今年がラスト!」ってセールみたいにしたらだめ??選んでもらいやすくなるよ。
- クラスによって人数が違うのは、教育の機会均等じゃない、不平等。
クラスごとの人数の不均等は、選択権を保護者と子どもに委ねているから、当然でる。
大所帯になりそうな先生のとこがいい子もいれば、少人数で見てくれる先生のとこがいい子いる。
それを含めて、保護者と子どもは選ぶんだから、学校サイドも家庭サイドも文句言えない。
学校にクラス決めてもらってた時にも違う意味で「不平等」はあったんだから、形が変わるだけ。
むしろ、先生たちは、「この子達は自分を選んでくれたんだ」って分かるから情熱が出ると思う。
- ただの「人気投票」になるんじゃないのか。
確かに、最初はぱっと見の人気投票かもしれない。
でも、だんだんその人のことがわかって、本性が広がって言ったら、絶対変わってくる。
それこそ、本当に立派な人だったらずっと多くの子どもに求められるし、偽物だったらなにかのタイミングでバレる。これに耐えられない人はどんどん教職離脱していく。
こういう環境なら、選んでくれる子どものことをめっちゃ大事しようってなるし、先生は本気で子どものためになることを考えるから、教育内容が充実してくる。
そうなってきたら、「人気投票」が「実力・信用投票」にだんだん変わっていくはず。
- 子どもたちの人間関係や能力を考慮しないのはどうなのか。
確かに、蓋を開けないと子どもたち同士の人間関係や能力は分からないから、すごく偏ったクラスになるかもしれない。
でも、それのなにが悪いんだ??
その先生のやり方次第で、何かに特化したクラスになってもいいんじゃない??
教えなきゃいけない内容はどのクラスでも教える+αは担任に委ねていいでしょ。
そういう「強み」を学べる場に学校がなることが、これからの世界を生きていく子どもたちには必要。
「先生のこと好き」っていう前提が同じ子がクラスにいるの分かってるし、人間関係的にはむしろ安心なんじゃない??
たとえ、前の年に折り合いが悪い子どもたちがいたとしても、それは今のクラス替え制度でも起こりうることたし、少人数のクラスは学年で合同で授業するとか、行事組むとか、子どもたち同士を関わらす方法はいくらでもある。
クラスの人間関係がすべてではない。
- 先生と保護者が癒着しそう。
これは、ありそう。
ただ、これもばけの皮が剥がれる時が来るから、もう説明しない。
先生の中には、人欲しさに賄賂的なことをしする人がいるかもしれないけど、そんななことしても、誰も得しないっていずれ分かる。
ただ、親同士や子供同士が相談して、えらぶ基準が「○○ちゃんも行くから」にはならないような工夫はいる。
あくまでも、自分の判断で選べるようにする。
真っ当な人が真っ当な評価を得られる仕組み
この「子どもが担任指名制度」をしていくと、最終的に、授業上手くて、子どもたちとたくさん遊んで、私生活もおもしろいことしてて、っていう「人間的魅力の高い人」じゃないと、先生ができなくなります。
ただ、私生活の面は全然だけど、授業がめちゃうまい人に教わりたい子もいるし、授業はあんまりだけど、「人となり」がめっちゃいい人に教わりたい子もいます。
とにかく、その子が求めるものを与えることができる仕組みに教育現場も変わっていく必要があるじゃなのかと思います。
志がある人は、最初は子どもの人数少なくても、経験を積んでいけば、必然的に人気になる。
逆に、自分に合わないことして自分を大きく見せようとしたら、どんどん人が遠ざかる。
真っ当な努力をする人が真っ当な評価をもらえる。
先生にとってもいい仕組みなんじゃなかと思います。
まあ、現時点でこれやろうと思ったら圧倒的に先生の人数がたりないけどね!
ん〜だれか、アドバイスください。
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